2018年7月25日水曜日

ポスト米朝会談:朝鮮半島非核化達成への必要条件/ 池上雅子(東京工業大学大学院 環境・社会理工学院 教授、日本パグウォッシュ会議運営委員)

2018年6月12日シンガポールで開催された歴史的米朝会談は、非核化への具体策が示されないなど実質に乏しいとの批判もあるが、米朝が敵対関係を解消し、65年間休戦状態だった朝鮮戦争の終結に向けて踏み出したことの意義は大きい.1 大量破壊兵器を「米国の軍事的脅威に対する絶対抑止」と位置付ける北朝鮮に完全非核化を要求することは、休戦協定下とはいえ一方的武装解除を要求するに等しく、朝鮮戦争の正式な終結なくして北朝鮮の非核化は論理的に不可能だからだ. しかし、この当然のロジックを取り上げる専門家は昨年まで殆ど皆無だった. ちょうど1年前、米朝の軍事的緊張が極度に高まり米軍による北朝鮮攻撃が危惧された時期、筆者は本ブログや新聞の論考で「北朝鮮核危機解決には先ず朝鮮戦争の終結を」との論陣を張ったが、⽇本のメディアではほとんど無視され、元CIA分析官は旧態依然の北朝鮮脅威論で和平アプローチ封じ込めの反論をした. 2
2.「戦争終結が解決の出発点」
共同通信配信(2017年6月21日)
 しかし、筆者が同様の主張を英⽂論考 “Prevent nuclear catastrophe: Finally end the Korean War” (Bulletin of the Atomic Scientists, 2017/06/15)3 で展開したところ、韓国をはじめ、中国やシンガポールの専門家から多くの肯定的な反応を受けとった. 6⽉の歴史的米朝会談にむけて韓国とシンガポールがお膳立てに尽力したのも道理だ. ただ、上記論考では北朝鮮核問題解決の鍵は米中が戦略的対立を超え「朝鮮半島非核化」の共通目標に向けて協働することが不可欠と指摘したにも関わらず、北朝鮮は大国同士を競わせる伝統的「振り子外交」の悪弊で, 4朝鮮戦争終結に向けて協働すべき米中間に早くも軋轢を生じさせている.5クリントン政権の1994年枠組み合意やブッシュJr.政権の2008年米朝交渉がいずれも非核化に失敗したのは、米国が北朝鮮への影響力確保を狙って中国の頭越しに秘密外交を展開し、結果的に北朝鮮の経済的条件闘争に嵌まったからだ. 
 これまでの歴史で、核兵器を保有した国で完全非核化した唯一の例は南アフリカだ(ウクライナは、ソ連崩壊後に残置された旧ソ連戦略核兵器の撤去に条件付きで応じたにすぎない)。南アフリカはアパルトヘイト体制の平和的転換に伴って非核化したが、このアパルトヘイト体制終焉をもたらしたのは、国連主導による長年の経済制裁に英米も同調して制裁が徹底したのに加え、冷戦終結によりアンゴラへの共産主義諸国軍事介入が終結するなど南アフリカの安全保障環境が好転した為だった.6
 南アフリカの非核化成功例に鑑みて、今後朝鮮半島非核化達成に必要なのは、朝鮮半島の冷戦構造終結に向けた以下のようなアクションであろう.
  1. 休戦協定当事者の米中と北朝鮮が、前提条件なしに朝鮮戦争を正式に終結させる.
  2. 朝鮮戦争終結後の北東アジア地域安全保障と信頼醸成メカニズムを、6者協議メンバー(南北朝鮮、米国、中国、日本、ロシア)を中心に立ち上げる.
  3. 北朝鮮への一方的な非核化強要でなく、これを世界的な核軍縮に繋げる為、包括的核実験禁止条約(CTBT)を米国・中国が批准、北朝鮮が署名・批准するよう、日本、韓国、ロシアなどが 働きかける。 
  4. 北朝鮮の大量破壊兵器は、麻薬、通貨偽造、人身取引などの闇資金や兵器・軍事技術などのグ ローバルな闇取引を原資にしているとされ、対北朝鮮経済金融統制は強化・維持する.7
日本が抱える拉致被害者問題が現行の北朝鮮体制下で解決する見通しは厳しいことも考慮すると、朝鮮半島非核化に向けて当面日本が採れる政策としては、1)北朝鮮の核・ミサイル実験場の解体に応じて、朝鮮戦争終結時に在日米軍横田基地に駐留する朝鮮国連軍後方司令部8が撤退するのに先立ち、国連軍が使用する7カ所の在日⽶軍施設の縮小、2)パチンコ業界などから北朝鮮への違法な資金源の規制9 、3) 非核化検証・査察制度への参加と技術・人材支援、4)米国・中国・北朝鮮のCTBT同時批准の促進、などが考えられる.北朝鮮核問題の平和的解決の鍵を握っているのは、実は日本かも知れないのだ.

【投稿者プロフィール】
池上 雅子東京工業大学大学院 環境・社会理工学院 教授)
専門は国際安全保障、紛争予防・信頼醸成、軍 縮軍備管理、核不拡散・核セキュリティ、科学技術政策分析など. 社会学博士(東京大学)およ び Ph.D.(ウプサラ大学平和紛争研究所)取得後、ストックホルム大学アジア太平洋研究所(CPAS) 所長・教授を長年勤め、2013 年より現職. 安倍フェロー(2010)としてEast-West Center (Washington, D.C. Honolulu) と平和・安全保障研究所 (RIPS)で客員研究. スウェーデン時代は Rolf Ekéus 大使 の元で Swedish Pugwash 運営委員、現在は日本パグウォッシュ会議運営委員、日本軍縮学会理事.

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2.池上雅子「戦争終結が解決の出発点」識者評論 北朝鮮情勢、共同通信配信、2017年6月21日 

3.Masako Ikegami “Prevent nuclear catastrophe: Finally end the Korean War”, Bulletin of the Atomic Scientistst (15 June 2017) 

4.重村 智計『北朝鮮の外交戦略』講談社現代新書 2007 年 

5.“Kim-Xi meeting presents a new challenge for Trump on North Korea”, Washington Post, March 28, 2018.


korea/2018/03/28/55e7e8a6-31f9-11e8-b6bd>;“Trump suggests China might be interfering in U.S.-North Korea talks”<s-north-korea-talks-idUSKBN1JZ1TS0084a1666987_story.html?noredirect=on&utm_term=.354d4ca2dc58>

6.Thomas C. Reed & Danny B. Stillman, The Nuclear Express, Zenith Press, 2009, p. 182. 

7.Sheena Chestnut Greitens, Illicit: North Korea’s Evolving Operations to Earn Hard Currency, Washington DC: Committee for Human Rights in North Korea 2014; “North Korea falls into $1.7 billion trade deficit with China — but something mysterious is keeping it afloat”, http://www.businessinsider.com/north-korea-17-billion-chinatrade-deficit-suggests-mysterious-funding-2018-2 

8.https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/fa/page23_001541.html; http://www.yokota.af.mil/Portals/44/Documents/Units/AFD-150924-004.pdf 

9.Charles Wolf, Jr. ʻTokyo's Leverage Over Pyongyangʼ, The RAND Blog, 21 November 2006 


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2018年6月18日月曜日

悪魔は細部に宿る/太田昌克[共同通信社編集委員(論説委員兼務)、日本パグウォッシュ会議諮問会議委員]

 全世界が固唾を飲んで見守った「6・12」の米朝首脳会談。今回の対話プロセスを主導した韓国の文在寅大統領、そして北朝鮮の対米接近を懸念する中国の習近平国家主席も場合によっては、シンガポール入りすることを検討していたようだ。どうやら中韓の関心は、米朝の終結宣言の可否にあったようで、特に、金正恩・朝鮮労働党委員長に747機まで貸し出した中国は自分たちの頭越しで朝鮮半島の未来図が構想されることを強く恐れていたとみられる。
 歴史的なシンガポール会談の最大の立役者は、文大統領の「側近中の側近」として知られる徐薫国家情報院長だ。KCIAを率いる徐氏は早くから、北朝鮮側のカウンターパートである金英哲・労働党副委員長と水面下で接触。トランプ大統領が昨年秋から「戦争風」を吹かす中、戦争回避を最優先する文大統領の意を体し、南北首脳会談へのレールを引き、さらに当時は米中央情報局(CIA)トップだったポンペオ現国務長官を対話プロセスに引き込んで米朝首脳会談へと道をつけた。徐氏はいわば米朝の「仲人役」を務めたと言っていい。なおこの話は、南北・米朝交渉に通じる国務省関係者から聞いた。
 このまま北朝鮮が「完全な非核化」を実現すれば、文、徐両氏はノーベル平和賞に値するだろう。しかし、ポスト・シンガポールのこれからが正念場だ。「ディールの達人」を自負するトランプ米大統領はどうやら、前例のない頂上会談の開催と「成功」に目がくらんだようだ。米朝会談の合意文書である「シンガポール共同声明」には、肝心要の「検証」の言葉は明記されず、それを示唆する関連用語も見当たらない。
 核廃棄で絶対的に不可欠な検証を盛り込めなかったのは「時間がなかったから」(トランプ氏)だそうだが、首脳会談後に1時間以上も記者団に長広舌を振るったり、金氏と仲良く散策して愛車「ビースト」を見せびらかしたりする暇があったのなら、なぜ検証の文字を獲得すべく、懸命のディール外交を展開しなかったのか。
 「悪魔は細部に宿る」。6カ国協議の初代米国首席代表は15年前に北京で私たち記者団にこう語ったものだ。交渉上手の北朝鮮を相手に、こちらが求める「完全非核化」が簡単に実現すると思ったら大間違いだ。リアリズムを肝に銘じながら、アイデアリズムを追い求めたい。


【投稿者プロフィール】
太田 昌克(おおた まさかつ)
共同通信社編集委員(論説委員兼務)、長崎大学RECNA客員教授、日本パグウォッシュ会議諮問会議委員
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。政策研究大学院大学修了(博士)。1992年、共同通信社入社。外交・安保、核・原子力政策を中心に取材。ワシントン特派員時代の核問題報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。主著に『日米「核密約」の全貌』、『秘録-核スクープの裏側』、『日米〈核〉同盟』、『日本はなぜ核を手放せないのか』